今日はレバノンに住むシリアの友人、ムハンマドに会いに行きました。彼が住むのはベイルートから車で約30分のアレイという町。電話やネットではやり取りしていたのですが、再会し、元気な姿を見て抱きしめ合ったときにはもう言葉になりませんでした。
積もる話しもたくさんあったのですが、まず家に通されるとのど乾いてないか、ご飯は食べたのか、今用意するから待っていろと、質問しているにも関わらず人の意思など関係なく進む食事の準備。マグドゥース(茄子のオリーブオイル漬け)、オリーブ、チーズ、卵焼き、サラダなど、決して豪華ではありませんが、床にシートを敷いてみんなで食べる。ご馳走様といってもしつこく進めてくる。じゃあ次はお茶だ果物だお菓子だと出してくる。レバノン料理はもちろんおいしかったですが、今日食べたものに勝るものはありません。本当に。
お茶を飲みながらお互い近況を報告し合いました。7年前にレバノンを訪ねたときも遊びに来たのですが状況はがらっと変わっていました。7年前はシリアの若者6、7人が小さな部屋で共同生活をしていたのですが、彼以外の友人はレバノン国外に脱出したそうで、残るのはムハンマド一家のみ。4年前に結婚して子どももいました。今は清掃会社で仕事をしているそうです。部屋もきれいで結婚し子どももいて落ち着いた生活を送れているのか…と思いきや、生活はギリギリとのことで。他の友人はレバノン国外に脱出した人もいればシリアに戻った人もいるようですが、彼はどちらもできません。国外に脱出するほどお金もなければ、シリアに戻ろうにも兵役から逃げてきたのでシリアに戻ればすぐにつかまってしまう、とのこと。
しかし子どもも大きくなり、教育のことを考えると今の状況を打破しなくてはいけない。奥様と子どもをシリアに戻し、自分は難民キャンプに行くしかないと思っている。しかしそれもまたハードルが高いそうです。レバノンにもUNHCRのオフィスがあり、彼自身も難民登録はしていて何度も相談をしているそうですが、全く取り合ってもらえないそうで、彼らは支援金を自分のポケットに入れて自分たちのことを何も助けてくれないんだ…と嘆いていました。
明るくふるまってはいましたが相当追い詰められているはず。そんな彼のために自分が出来ることは何なのか。お金なのか物なのか。もちろんそれも必要ですが、自分にできることは一人の友人として変わりなく接することではないかと感じました。自己満足かもしれません。でも世界は決して見捨ててはいないんだよ、と。直接関わった人間として出来ることはこれではないか。
今日もこれからどうしよう…という話をずっとしてた訳ではありません。子どもと遊んだり、昔の話しに花を咲かせ、お前はなんで結婚しないんだと心配されたり。そんな何気ない会話が如何に尊いか。
あっという間に時間は過ぎて別れの時間。空港まで送ってくれて、また来いよ、また会いに行くから、と約束して別れました。