先週から1週間、シリアの各地でパレスチナの文化祭のようなものが行われおり行ってみました 。
シリアにはUNRWA(United Nations Relief and Works Agency for Palestine Refugees in the Near East:国際連合パレスチナ難民救済事業機関)に登録されている難民の約10%、44万人のパレスチナ難民がいるそうです。
私は普段パレスチナ人と接する機会はありませんが、パレスチナ難民キャンプで活動している協力隊隊員もいます。
パレスチナ問題に関しては高校で習ったとは思うのですが、恥ずかしながらシリアに来るまで覚えていないというか知りませんでした。
なので難民キャンプというとテント生活をしていて、食べるものに困ってる人たちがたくさんいるような場所だと思っていました。
そういうところもあるのかもしれませんが、私が行ってみたのはダマスカス郊外にあるムハイヤム・ファレスティーン(パレスチナキャンプ)とムハイヤム・ヤルムーク(ヤルムークキャンプ)。普通の町でした。
セルビス(乗合ワゴン車)を降りて、場所を聞きながら文化センターに向かいました。
みなさんとても親身になって教えてくれるのですが、その割には適当なところがあり、あの建物だ、と教えられたものが違ったり、ここから100mだ、といわれたのが1kmくらい先だったり、余裕を持って出たはずなのですが、結局着いたのは閉演ぎりぎり。
演奏が終わり、外にでるとたくさんの子供たちが遊んでいました。そして日本人が珍しいのか、私たちを見るなり近寄ってきて、いろいろ話しかけてきます。
私は以前にUNRWAで活動している隊員が「出身はどこ?って聞くと、シリアで生まれたのにパレスチナって答えるんだ。」と言ってたのを思い出し子どもたちに「出身はどこ?」と聞いてみました。
するといった通り「パレスチナ」と答える子や、「生まれたのはシリアだけど、私はパレスチナ人だ。」と答える子どもがほとんどでした。
子どもたちもそうですが、彼らの両親ですらパレスチナの地を踏んだことが無い人ばかりです。彼らはどういう思いで自分たちのことを「パレスチナ人」と呼ぶのか。
私たちから見ればシリアの人もパレスチナの人も同じような風貌だし、言葉も同じだし、変わらないのかな…と思ったりもしますが、私たちにはわからないアイデンティティがあるのかもしれません。
自分が踏んだこともない土地の事を祖国と思えるのだろうか、という疑問はありますが、親や学校から自分がパレスチナ人であるということ、なぜシリアにいるのかということを教わるんだと思います。
それはもちろん大切なことですし、悲しい歴史があると思いますが、でもせめて他国を憎むような大人にはなって欲しくない、二度と同じことを繰り返してほしくない、と願うばかりです。