ダマスカスの歴史、由来 etc…

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執筆:2009年8月3日
※青年海外協力隊で活動していた当時のブログから記事を移行しています。


今日はアラビア語の授業の日。最近よく怒られるのが発音です。もちろん授業を始めた時点から怒られていたのですが、最近しびれを切らしたのか口調が厳しくなってきました。

嫌みな説教…

私が特に苦手なのが「ら」。アラビア語にもRとLがあるのですが、私には聞いただけではまず区別がつきません。先生が言ったのを書くという書き取りの練習でRとLを間違うと
「オォ~、ヒロ~、ヤーバーニー・・・」
と日本人はこれだからダメだ的に嫌みったらしく説教されます。私の他にも日本人の生徒がいるのですがみんな苦労しているみたいです。

「ダマスカス」の由来

さて、今日の授業の長文のテーマはダマスカス、ウマイヤド・モスクの歴史についてでした。ダマスカス旧市街は「世界最古の都市」として世界遺産にも登録されていますが、「世界一古くから人が住み続けている都市(首都?)」というのが正確なようです。その「ダマスカス」という名も古くからあり、聖書やもっと古くはエジプトのファラオの書物、さらにはアラム人が残した粘土板にも登場します。名前の由来も諸説あるようで、アラム語の「ダルメセク(よく灌漑された場所)」とか、私が一番面白いなと思ったのは「ダマスカス」はアラビア語で「ディマシュク」というのですが、アブラハムが何かを「ディマ」と「シュク」と名づけ、「ディマシュク」という名はそこから来ている、という話です。これはセルビスでたまたま一緒になった歴史を勉強している大学生に教えてもらいました。

とにかくダマスカスは古く、観光ガイドやらには4000年前とか書いていますが、アラビア語の教科書には7000年以上の歴史はあるんだと書いてあります。

イスラム史上歴史的都市、ウマイヤ朝

そんなダマスカス、歴史上様々な国の支配を受けますが最も繁栄したのがウマイヤ朝時代(661年-750年)。ダマスカスはウマイヤ朝の首都として繁栄したのですが、この時期のダマスカスはイスラム帝国の歴史的、また文化的にも重要な役割を果たしています。

イスラム教の開祖はムハンマド。610年頃です。ムハンマドはイスラム教の拡大とともに、イスラム共同体(小さなイスラム国家みたいなものでしょうか?)を建設し、どんどんその勢力を拡大させて行きました。

ムハンマドの死後、誰がカリフ(イスラム教の指導者、つまりイスラム共同体の長)になるか、を決めなくてはいけません。その第1代目カリフにムハンマドの親友、アブー=バクルが選ばれましたが病気のため2年で亡くなってしまいます。

そして第2代目のカリフとして選ばれたのが、ウマル。彼はムハンマドとは別の部族出身で、もともとイスラム教を嫌い、ムハンマドの敵でした。しかし、後にイスラム教に改宗しイスラム教布教に大きく貢献し、その範囲をシリア、パレスチナ、イラク、エジプトまで拡大させました。またエルサレムで彼はムハンマが昇天の出発点とした岩を発見し、そこで礼拝する習慣を作りました。

ウマルの死後、3代目カリフとして選ばれたのがウマイヤ家出身のウスマーン。彼も歴代のカリフ同様、領土拡大、そしてコーランの完成など大きな功績をあげています。しかし、近親者(ウマイヤ家の人々)を優遇する政策をとっていたため、不満を持つ人に殺されてしまいます。

そして、4代目アリー。ムハンマドの従弟で早くにイスラム教に改宗し、ムハンマドとともにイスラム教の布教を始めました。しかし、もうこのころになると後継者争いが泥沼化してきます。

ここで登場するのがウマイヤ家出身のムアーウィヤ。ウスマーンの死後、第4代目のカリフはアリーとムアーウィヤの間で争われました。しかし、選ばれたのはアリー。これが気に食わないムアーウィヤは「ウスマーンを殺したのはアリーの一派だ!」といちゃもんをつけ、アリーと戦いますが不利だとわかるや否やアリーと和議を結び、アリーと供にイスラム帝国のボスの座に着きます。

しかし、ここでアリーは新たな敵(ムアーウィヤとの和議が気に食わない一派)を作ってしまいました。アリーはその一派、そして裏ではカリフの座を狙っているムアーウィヤ一派との戦いでどんどん疲弊していきます。

そしてアリーはついにその一派に殺害され、ムアーウィヤは事実上単独のカリフとなり自己の家系によるカリフ位の世襲を宣言し、ウマイヤ朝を開きました。

長くなりましたが、つまりムアーウィヤはイスラム史上初の選挙なしで即位したカリフだというわけです。流れ的にはなんだか悪者のような感じもしますが…

なぜウマイヤ朝の首都がダマスカスだったのか

そして、なぜメッカやマディーナではなくダマスカスをウマイヤ朝の首都と定めたか?正確なことはわかりませんが、理由は二つあると思います。

一つは2代目カリフのウマルがムアーウィヤにシリア地方の統治をまかせていたこと。もう一つは地理的条件。今のダマスカスの姿からは想像もできませんが、当時は川も流れており水も豊富だったそうです。そしてウマイヤ朝時代のダマスカスは当時の文化、科学、政治等の中心で、この時期に大きく花開いたそうです。

ダマスカスのシンボル、ウマイヤド・モスク

その代表がウマイヤド・モスク。ウマイヤド・モスクは8世紀初頭に完成したモスクですが、世界最大かつ現存する世界最古のモスクだそうです。ちなみにエルサレムのアルアクサ・モスクが建設されたのも同時期です。

さて、そのウマイヤド・モスクですが、これまた深い歴史をもったモスクなのです。ウマイヤド・モスクはもともとビザンチン帝国の大聖堂、洗礼者ヨハネ聖堂でした。それを改築してウマイヤド・モスクにしたそうです。ヨハネの首は今でもウマイヤド・モスク内で祀られています。

そしてさらにその前はカナン人の神殿だか聖堂かなんかだったらしいです。つまり、ウマイヤド・モスクがある今の場所は形を変え、長い間祈りの地としてその役割を果たしているわけです。調べると面白く、本当に歴史ある場所なんだなぁ、と思います。

長くなりましたが、面白くていろいろ調べてみました。間違えているかもしれませんが、ご了承くださいませ。

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