ラッカの旅その1。初の寝台列車、早朝のラッカ、タクシーでの攻防

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執筆:2008年10月31日


スウェーダでの講習会で知り合ったラッカの先生に誘われ、農業隊員Kさんと農業視察を兼ねラッカに遊びに行ってきました。

ラッカはシリア北部にあるユーフラテス川沿いにある町。ダマスカスからだと約400km。なかなかの距離です。ラッカでの観光時間を確保するため、ハードスケジュールですが前日の寝台列車で移動することにしました。シリアでは2回目の電車移動ですが寝台は初です。

18時50分ダマスカス発、3時45分ラッカ着。寝台列車は二人部屋の個室みたいになっていてかなり快適でした。これで330sp(約700円)ですからかなりお得。日本だったら普通列車、青森~弘前(40km)が確か640円でしたから、それに比べるととてもお得です。

到着時刻近くの3時20分起床。窓の外は真っ暗です。シリアは時間に正確でないこと加え、この列車はアナウンスが無いのでいつラッカに着くか分かりません。なのでちょっと早めに起きて、ラッカへの到着を待つことにしました。

3時30分。乗務員に聞くと20分程遅れているとのこと。近づいたら呼びにきてくれるそうです。

3時40分。呼びに来ました。「どこいくんだ~?」とか「忘れ物ないか?」とか親切にしてくれはしたのですが、お決まりのジャッキーチェン、ブルースリー、宗教、クルド人の話になり、寝起きにはなかなかきつかったです。

4時ラッカ駅到着。まだ外は暗くやることはありません。とりあえずユーフラテス川で朝日を見ようということになりました。

タクシーで川まで移動。しかしまだ真っ暗。朝日までまだ時間があります。そのままタクシーで町の中を観光することになりました。

ラッカの町中にはいろいろ遺跡があり見所満載なのですが、暗いためどうも面白くありません。閉まってるところもありましたし。当然ですけど。

まだ時間があるので、運転手が家に招いてくれて一服し、太陽が昇る時間にあわせて川へ移動、朝日を見ることにしました。

夜が明けてきました。

しかし、ラッカのユーフラテス川からは綺麗に朝日を見ることは出来ませんでした。そして緊張の会計です。

短い時間でしたが運転手とも仲良くなり、ぼられないだろうと期待しつつの値段交渉。早朝の3時間の観光、わがままも聞いてくれましたし1000sp(約2000円)くらいなら出してもいいかな、と思っていました。

私:いくらですか?
運転手:お前らは私の客だ。いくらでもいいよ。

でました。一番嫌いで、かつぼってくるパターン。しばらくは、いくらか言ってくれ!といい続けましたが頑なに言いません。

Kさんと相談し、高い値段をいうとぼられるのでかなりの低めの値段からはじめることにしました。

私:400spは?
運転手:安すぎる。

確かにこれは私でも安すぎると思います。これから少しづつ上げていきます。

私:500sp
運転手:安すぎる。ユーフラテス川の往復だけでも500spするぜ。

ユーフラテス川の往復だけで500spもするはずありません。せいぜい100spです。これは相当ぼるつもりなのか。

その後も少しづつ上げては断られの繰り返しで、もうこのままだと埒が明かないと判断し、もう一度いくらか言ってくれ、と頼むと

運転手:2000sp

いや…これにはびっくりです。一気に飛びすぎです。

今までいろんなところを観光し、同じような感じで1000spだったとかいろんな例を出しつつ交渉したのですが、お前は家に来てお茶も飲んだし、ガソリンも入れたし、などなど言われ運転手もなかなか折れません。

その後も交渉は続き、

運転手:じゃあ1500sp

一気に下がりました。これでも高いと思ったのですが、交渉するのも疲れたし、私はいいかなと思ってしまいました。しかしkさんが強気でなかなか折れません。そんな強気な人だったとは知りませんでした。

結局財布の中を見せ(大きいお金は別なところに入れてました)、有り金を全部払うという作戦で700spだけ払いタクシーを降りました。私一人なら確実に1500spで折れてました。

強気になるものだな…と思いました。


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