執筆:2009年1月10日
イスラエルによるパレスチナはガザ地区への攻撃が続くなか、穏やかな休日を迎えたシリア。シリア国内にもパレスチナ難民キャンプがあり、そこの皆様はどう感じているのだろうか、という興味がわきパレスチナ難民キャンプに行ってみました。
街の中にはイスラエルの攻撃に抗議するポスターなどは貼られていましたが、町の様子は平穏そのもの。
結婚式の準備をしている人もいました。本当に穏やかです。もっと抗議の人で溢れているかと思ったのですが、これも私の先入観…なのかもしれません。
そんな中、パレスチナの伝統的衣装に身を包む一人の少女と出会いました。はじめは恥ずかしがってお父さんの後ろにすぐに隠れてしまいました。
しかしお父さんに抱っこされ、写真だよと促されると
少しづつこちらを向き、恥ずかしながらも笑顔を見せてくれました。
この子が頭に巻いているバンダナもパレスチナをあらわしたものです。
お父さんにパレスチナのお話をいろいろ伺ったのですが、その中でも印象的だったのが「私もパレスチナ人だが、ガザ地区のパレスチナ人とは全く異なった文化、習慣を持っているんだ。だから、私はパレスチナのことはよく知らないんだ。でもパレスチナは私の故郷。いつかはパレスチナの地を踏んでみたいんだ。」というお話し。
パレスチナ難民がシリアに来たのはもう何十年も前のことで、まだ存命の方もいらっしゃるかとは思いますが多くは2世や3世、もしくはもっと後世の人もます。生まれも育ちもシリアというパレスチナ人は増えていますが「いつかはパレスチナの地を…」は本当に多くのパレスチナ人が口にする言葉です。
イスラエルの憎しみなのか、まだ見ぬ地パレスチナへの郷愁の想いなのかはわかりませんが、お父さんもそんな想いを込めて娘にパレスチナの衣装を着せたんだろう、と思います。
そう考えるとこの娘が生まれながらに背負うものはあまりにも重い。そして見通しが決して明るいとは言えない未来。しかしそんなことはまだ知らないこの屈託のない笑顔。
誰がこの笑顔を守るのか。この笑顔の先の道を作るのか。
それはきっと私たち自身なんじゃないかと思います。
あらゆるところであらゆる人やモノと繋がれる時代。もう見て見ぬふりはできない。誰かのせいなんては言ってられない。一人一人の力を一つにして世界を変えていく。そんな想いがこみ上げる出会いでした。