断食しないイスラム教徒の考え方。人間は誰が創ったのか?シリア人との問答より。

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執筆:2009年8月12日
※青年海外協力隊で活動していた当時のブログから記事を移行しています。


今年ももうすぐラマダンです。今年は8月20日頃から9月20日頃まで。去年もそうですが、ここ数年のラマダンは暑く長く最も厳しいラマダンになります。

断食をしないイスラム教徒

さて、今日も18時からアラビア語の授業です。 私の先生、アハマドはムスリムですが酒を飲みます。そこで断食をするのかどうか気になり聞いてみました。 すると

「俺はやんないよ。だってお腹すくでしょ。」

とあっさり期待を裏切らない答えが返ってきました。そして

「俺ってマジヌーン(crazy)かい?へへへ。」

とまで。 アハマドはお祈りもしないしモスクにも行きません。戒律の緩い宗派(アラウィー)出の人ということもあり、そういう考えをもっているのかもしれませんが、私はアハマドのその答えを聞いたときなぜかほっとしたというか嬉しくなりました。

なぜでしょうか。 酒を飲み、お祈りをせず、断食もしない。 ムスリム的にはダメな人の典型ですがアハマドはまあまあいい人です。ときどき…いや結構イラッとすることもありますが。

断食するイスラム教徒が素晴らしいのか

でも逆に酒を飲まず、お祈りもしていて、断食をする人でも嫌な人はいっぱいいますからね。なんというか、私は自分がイスラム教徒であることを鼻にかけて話して来る人が好きではありません。ういう人に限って他の宗教を否定したり、改宗をすすめてきたりします。そんな人にイスラム教の説明をされても全く説得力がありません。

彼らがアッラーの説明をするとき、よく次のような質問形式で説明してきます。

シリア人(以下、シ):「お前は誰がつくったんだ?」

私:「お父さんとお母さんだ。」

シ:「じゃあ、お父さんとお母さんは誰がつくったんだ?」

私:「おじいちゃんとおばあちゃんだ。」

もうこの辺で「人間をつくったのは神だ」と言いたいのは見え見えなのですが、このやり取りはまだ続きます。

シ:「じゃあ、おじいちゃんとおばあちゃんのずっとずっと前は誰がつくったんだ?」

私:「サルだ。」

こうなるともう意地です。この後も「誰が~をつくったんだ?」という問いに対し、私が虫だの魚だの微生物だのと答えますが、最終的には

シ:「じゃあ全てのものは誰がつくったんだ?」

となり、もうわからない、神だと言わせたいのはわかっているのですがそう答えるのもしゃくなのですが

私:「…わからない。」

と答えると

シ:「アッラーだ!」

となるわけです。子供ならこれでもいいでしょうが、いい大人相手にこんな説明でアッラーを信じろなんて無理な話です。そしてその時のどや顔といったら…むしろアッラーの説明をするためにそんな説明しかできないのかと、そっちの方が残念です。イスラム教徒的には素晴らしいのかもしれませんが、人としての接し方という点ではどうなのかなぁ…と思います。

イスラム教について理解するのは彼らにとっても難しいらしいですが、説得するならそれなりの知識は持っていて欲しいです。中途半端な知識で知ったかぶられるのは一番嫌です。

それよりなら、アハマドのように「断食しない俺ってマジヌーンかい?へへへ。」とジョークを言えるくらいの余裕をもった人の方が普段腹たっても、よっぽど好きです。 まあ、アハマドに関しては

「先生はアラウィーですか?」

という質問に対しても

「親はそうだけど、俺は関係ねぇよ。」

と言う自由人ではありますが。個人的にはそれくらいの方が人間味があって好きです。

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